匂いで過去の思い出が蘇ることを「プルースト効果」といいます。
フランスの小説家、マルセル・プルースト(1871年7月10日 - 1922年11月18日)の小説「失われた時を求めて」の中で、主人公がプチット・マドレーヌを紅茶に浸した時の香りをきっかけに、幼少期の記憶を思い出したことから、プルースト効果と呼ばれるようになりました。プルースト自身は、「無意志的記憶」と呼んでいたそうです。
プルースト効果
今回のお題は「におい」についてです。
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の中で嗅覚だけが、記憶を司る脳の器官に直接つながっているので、見たり聞いたりしたときよりも、匂いを嗅いだときの方が記憶を思い出しやすいということです。
確かに、匂いを嗅いで過去の記憶が蘇ることって、自分に置き換えてみても経験があります。いい機会なので、子どもの頃の夏の思い出を振り返ってみようと思います。
海の匂いで蘇る夏の思い出
柔らかな風が潮の香りを運んできて、バスに揺られてまどろむわたしに海が近いことを教えてくれた。バスの振動が心地よいゆりかごのようで、朝早く起きたこともあり、少しうとうとしてしまったようです。背伸びをして海を眺めると、潮の香りが懐かしい記憶を呼び覚ます。あれは子どもの頃、夏休みに親戚の家に遊びに行った時のことでした。
親戚の家は高台にあり、遠くには海が見える立地なので、まさに絶景と呼ぶにふさわしい場所に家があります。家から海までの正規ルートは、曲がりくねった道を下っていくのですが、林の中のけもの道みたいな急勾配な道を真っ直ぐ下っていくことでも海に行けます。一つ下の親戚の子や近所の子供たちだけで海に行く時は、専ら近道の方を使っていました。
その日、親戚の子は学校の友達と遠くに遊びに行き、親戚の子を通して仲良くなった近所の子も親とどこかへ出かけるということなので、1人で何をしようか朝ごはんを食べながら考えていました。長閑な田舎なので、周りには自然しかありません。考えても海しか思いつかなかったので、とりあえず海に行くことにしました。親からは「行ってもいいけど1人で海に入るのはダメだよ」と、きつく念を押されて出かけて行きました。急勾配な山道を下って行くと、キラキラと輝く穏やかな海が見えてきました。
いつも人が少なくて、今思うと、地元の人しか来ないような知る人ぞ知る海水浴場だったように思います。その日も人はまばらで、砂浜と波打ち際、岩場にと数組が確認できるくらいでした。岩場のところに、麦わら帽子を被り水色のワンピースを着た女の子が、1人で佇んでいるのが目に留まりました。今ならしないと思いますが、当時は子供だったので細かいことは考えず、めちゃめちゃ暇だったこともあり声をかけてみることにしました。
何を話したかはよく覚えていませんが、「1人で来たの?」と聞いたら「ううん、あそこにママがいる」と言って日陰のテントを指さしたのを覚えています。あとは、わたしと同じように親戚の家に泊まりに来ていて、退屈だと言ってたのを覚えています。その子は同い年で、サラサラのストレートの長い髪が印象的でした。テントにお呼ばれしてジュースをもらって飲んだり、その子の母親と他愛もない話をしたりして楽しい時間を過ごしました。
その女の子と遊んだのは1回だけですが、海の潮の香りを嗅ぐとその時の記憶を思い出します。
黄金の昼下がり
プロローグが長くなりましたが、ここからが本編になります。長くなったので巻いていきます。
3人でテントで少し話して、その後は2人で砂浜をウロウロして話しながら遊んでいました。一度お昼に家に帰って昼食を摂った後、また2人で遊びました。
小さな神社の石段に座り、飲み終わったラムネからビー玉を取り出して2人で覗き込んだことが一番思い出に残っています。逆さに映った海と空と雲が綺麗でした。特別なことは何もしてないのに、とても楽しかったことを覚えています。
数日前に大人数でバーベキューをした時にその子のママがいたらしいのですが、わたしは覚えていませんでした。わたしの親戚の誰かと同級生とかそんな感じだったと思います。女の子は来ていませんでした。ちなみに、女の子の名前は覚えていません。
まとめ
光り輝く黄金の昼下がりはとても短い時間でした。一期一会でしたが、あの夏の日の出会いは、これからもずっと忘れることはないでしよう。
「すごいニオイ」#ジェットウォッシャー「ドルツ」